マタニティライフって楽しいですか?
先日、助産師さんが開催している子育て支援のお茶会に参加してきました。
その日、妊婦は私だけで皆さん小さなお子様連ればかり。
ママさんたちとお話していると、こんな風におっしゃられました。
゛また妊婦に戻りたい。妊婦の頃すごく幸せだった。自分の中から赤ちゃんがいなくなって寂しくさえあった。”
色んな感じ方があるんだなぁ、そして人それぞれ色んなマタニティライフがあるのだと思いました。
私はというと、けして手放しに楽しめるばかりではなく、泣いて過ごす日も多くて、なんだか胎教には悪いのだろうなぁ、申し訳ないなぁという気分です。
親になるためのスペック更新には、乗り越えなければならない試練、手放さなければならない感情が山積みなのです。
私は親には向いてない、親にはならないという信念で生きてきてしまったから…。
planet95.hatenablog.com
妊娠中には、妙に幼いころの自分の感情がよみがえってきたのです。
自分自身も親になることで、両親への感謝が沸き立つべきなんて思っていたので、自分の薄情さに嫌気がさしました。
どこかまだ取り切れていないしこりが疼き、批判や執着を手放せない自分に気づかされました。
物理的に母親と距離を置ければまだよかったのですが、同居しているため毎日顔を合わせなければいけません。
関わるといちいち過去に埋め込まれた地雷に触れるように傷つく、損をするという思いが積み重なり、母とまともに会話することも次第に少なくなってしまいました。
妊娠中、離れて暮らす父と祖母とそして母親も交えて食事をするなんて話もあったのですが、あまりに嫌すぎて結局私は寝込み、泣きはらしキャンセル。
出どころ不明の説明しがたい感情に支配され、どうしてよいか戸惑うばかりでした。
ただ、私の最大の幸運はパートナーに恵まれたことです。
過去に満たされなかった感情の埋め合わせをしてくれるような人に出会えたことで、救われています。
子供の頃、家庭は私にとってけして安全基地ではなかったけれど、今は安心感というものの意味を知ることができました。
そして戸惑いながらも私は生きなおしをするため、自分自身が自由になるため、許し、手放して生きていきたいと強く思っています。
未完了の想いが強すぎると、私と子どもとの関係性の中にも同じことが映し出されてしまう。
だから今こそ、私には生きなおしのチャンスなのだと。
今度は自分から与えて、そして私自身も癒されていく人生のスタートなのだと。
胎児がおなかにいる時間、十月十日と書いて朝。
朝が来るたびに私たちも生まれ変わることができると教えてもらいました。
また、絶え間ない努力と行き先のわからない冒険の始まりです。