前回の稽留流産について。
今回の妊娠の前に、稽留流産を経験しました。
無事に生まれてきた命ばかりが注目され、人知れず消えた命は積極的に語られることもなくフォーカスされにくい。
私も今まで、自分が経験するまでは知りえない情報や痛みを得る機会となりました。
そしてあの時、私の心と体に起こった現象を今のうちに書き留めておきたいと思います。
同じ境遇のある方のブログが支えとなった経緯もあり、私のブログもほんの少し誰かの力になれるなら幸いです。
稽留流産とは?
自然流産の一つで、既に死亡してしまった胎児が子宮内に留まっている状態です。
妊婦自身には何の兆候もなく、腹痛や出血を伴いません。
私の場合は心拍を確認し母子手帳の受け取りをした後でした。
8週あたりのエコー検査で心拍が止まっていることを確認し、稽留流産と判断されました。
大抵は心拍を確認できれば流産の可能性はぐっと減るのですが、初期にはこのような事態もあり得えます。
確率で言えば全妊娠の20%くらいで流産は起こり、決して珍しい現象ではありませんが、親にとってのその命の重み、出来事が与える影響力は単に数字で割り切れるものではないでしょう。
稽留流産後の出来事
稽留流産ではすでに胎児が亡くなった状態です。
そのため子宮内の赤ちゃんや組織を取り出す「子宮内容除去術」という手術を勧められることが日本では一般的です。
私の場合は、医者と相談し自然排出を待つことにしました。
この子が出てきたいタイミングを待ちたいなと。
母体には一番負担のない形ではありますが、いつ進行流産となって腹痛を伴う大量出血が起こるかも分かりません。
お勤めしている方には予定が立たない不安もあると思うので、手術の方がいいかもしれません。
それに、体の中に異物があるからか私は軽くつわりのような症状も続き、何だか報われない苦しさではありました。
稽留流産の宣告から約3週間後、激しい生理痛のような痛みが襲ってきました。
痛みを抱えながら浴室へ行き、シャワーを浴びて体を温めていたその時でした。
強い痛みと共に腹の中でずるりと動めく感覚があり、次の瞬間、鮮血にまみれた十センチ大の薄い皮膜に包まれた塊が、子宮から差し出した手のひらに堕ちました。
それはまだ温かで、自分の臓器の一部が剥がれ落ちたような感じでした。
決して、『産んであげれなくてごめん』だとか、悲観的になって自分を責めるようなことも、涙ももう出ませんでしたが、枯渇したように思われた母性の水脈を自分の中に見つけたような気分にはなりました。
失ったことより、持っていた時間に感謝しよう。
短い間だったけれど、ママにしてくれてありがとう。
私の人生で親になる選択などないと思っていたけれど、この時の経験は次の妊娠にもつながる劇的な変化を私にもたらし、この子の使命の大きさを感じずにはいられません。
出てきたその子は、旦那さんも見ると言ったので差し出して確認してもらいました。
そして数日後、その命は庭で空き缶に入れて二人で燃やしました。
儚く灰が冬空に舞い、残りの灰は庭の畑に撒きました。
物理的な話や様々な詳しい情報は色んな方が書いているので、私は自分の経験を元に忠実にお伝えしてみました。
その後私は海外を旅したり自分の時間を楽しみつつ、しばらくしてまた今新しい命を授かりました。
流産の際には様々な他人の意見もあり、『流産するなんてもともと体に問題があるのでは?30代後半で妊娠なんて今まで何してたの?』という心ない意見から、『前の子が守ってくるから次は大丈夫』と言ってくれる人など色々でした。
残念ながら初期の流産は染色体の異常など防ぎようのないものです。
私も薄情なほど、自分を責めるようなことだけは一切しませんでした。
悲しい思い出はあるべき場所にそっと置いておいて、囚われることなく前に進む選択をしました。
そして今、ここに書き綴ることでまだすべてを消化しこれからの出産、育児を楽しめると思います。
このブログが必要な誰かに届くことを願いながら…。