マタニティライフって楽しいですか?
先日、助産師さんが開催している子育て支援のお茶会に参加してきました。
その日、妊婦は私だけで皆さん小さなお子様連ればかり。
ママさんたちとお話していると、こんな風におっしゃられました。
゛また妊婦に戻りたい。妊婦の頃すごく幸せだった。自分の中から赤ちゃんがいなくなって寂しくさえあった。”
色んな感じ方があるんだなぁ、そして人それぞれ色んなマタニティライフがあるのだと思いました。
私はというと、けして手放しに楽しめるばかりではなく、泣いて過ごす日も多くて、なんだか胎教には悪いのだろうなぁ、申し訳ないなぁという気分です。
親になるためのスペック更新には、乗り越えなければならない試練、手放さなければならない感情が山積みなのです。
私は親には向いてない、親にはならないという信念で生きてきてしまったから…。
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妊娠中には、妙に幼いころの自分の感情がよみがえってきたのです。
自分自身も親になることで、両親への感謝が沸き立つべきなんて思っていたので、自分の薄情さに嫌気がさしました。
どこかまだ取り切れていないしこりが疼き、批判や執着を手放せない自分に気づかされました。
物理的に母親と距離を置ければまだよかったのですが、同居しているため毎日顔を合わせなければいけません。
関わるといちいち過去に埋め込まれた地雷に触れるように傷つく、損をするという思いが積み重なり、母とまともに会話することも次第に少なくなってしまいました。
妊娠中、離れて暮らす父と祖母とそして母親も交えて食事をするなんて話もあったのですが、あまりに嫌すぎて結局私は寝込み、泣きはらしキャンセル。
出どころ不明の説明しがたい感情に支配され、どうしてよいか戸惑うばかりでした。
ただ、私の最大の幸運はパートナーに恵まれたことです。
過去に満たされなかった感情の埋め合わせをしてくれるような人に出会えたことで、救われています。
子供の頃、家庭は私にとってけして安全基地ではなかったけれど、今は安心感というものの意味を知ることができました。
そして戸惑いながらも私は生きなおしをするため、自分自身が自由になるため、許し、手放して生きていきたいと強く思っています。
未完了の想いが強すぎると、私と子どもとの関係性の中にも同じことが映し出されてしまう。
だから今こそ、私には生きなおしのチャンスなのだと。
今度は自分から与えて、そして私自身も癒されていく人生のスタートなのだと。
胎児がおなかにいる時間、十月十日と書いて朝。
朝が来るたびに私たちも生まれ変わることができると教えてもらいました。
また、絶え間ない努力と行き先のわからない冒険の始まりです。
前回の稽留流産について。
今回の妊娠の前に、稽留流産を経験しました。
無事に生まれてきた命ばかりが注目され、人知れず消えた命は積極的に語られることもなくフォーカスされにくい。
私も今まで、自分が経験するまでは知りえない情報や痛みを得る機会となりました。
そしてあの時、私の心と体に起こった現象を今のうちに書き留めておきたいと思います。
同じ境遇のある方のブログが支えとなった経緯もあり、私のブログもほんの少し誰かの力になれるなら幸いです。
稽留流産とは?
自然流産の一つで、既に死亡してしまった胎児が子宮内に留まっている状態です。
妊婦自身には何の兆候もなく、腹痛や出血を伴いません。
私の場合は心拍を確認し母子手帳の受け取りをした後でした。
8週あたりのエコー検査で心拍が止まっていることを確認し、稽留流産と判断されました。
大抵は心拍を確認できれば流産の可能性はぐっと減るのですが、初期にはこのような事態もあり得えます。
確率で言えば全妊娠の20%くらいで流産は起こり、決して珍しい現象ではありませんが、親にとってのその命の重み、出来事が与える影響力は単に数字で割り切れるものではないでしょう。
稽留流産後の出来事
稽留流産ではすでに胎児が亡くなった状態です。
そのため子宮内の赤ちゃんや組織を取り出す「子宮内容除去術」という手術を勧められることが日本では一般的です。
私の場合は、医者と相談し自然排出を待つことにしました。
この子が出てきたいタイミングを待ちたいなと。
母体には一番負担のない形ではありますが、いつ進行流産となって腹痛を伴う大量出血が起こるかも分かりません。
お勤めしている方には予定が立たない不安もあると思うので、手術の方がいいかもしれません。
それに、体の中に異物があるからか私は軽くつわりのような症状も続き、何だか報われない苦しさではありました。
稽留流産の宣告から約3週間後、激しい生理痛のような痛みが襲ってきました。
痛みを抱えながら浴室へ行き、シャワーを浴びて体を温めていたその時でした。
強い痛みと共に腹の中でずるりと動めく感覚があり、次の瞬間、鮮血にまみれた十センチ大の薄い皮膜に包まれた塊が、子宮から差し出した手のひらに堕ちました。
それはまだ温かで、自分の臓器の一部が剥がれ落ちたような感じでした。
決して、『産んであげれなくてごめん』だとか、悲観的になって自分を責めるようなことも、涙ももう出ませんでしたが、枯渇したように思われた母性の水脈を自分の中に見つけたような気分にはなりました。
失ったことより、持っていた時間に感謝しよう。
短い間だったけれど、ママにしてくれてありがとう。
私の人生で親になる選択などないと思っていたけれど、この時の経験は次の妊娠にもつながる劇的な変化を私にもたらし、この子の使命の大きさを感じずにはいられません。
出てきたその子は、旦那さんも見ると言ったので差し出して確認してもらいました。
そして数日後、その命は庭で空き缶に入れて二人で燃やしました。
儚く灰が冬空に舞い、残りの灰は庭の畑に撒きました。
物理的な話や様々な詳しい情報は色んな方が書いているので、私は自分の経験を元に忠実にお伝えしてみました。
その後私は海外を旅したり自分の時間を楽しみつつ、しばらくしてまた今新しい命を授かりました。
流産の際には様々な他人の意見もあり、『流産するなんてもともと体に問題があるのでは?30代後半で妊娠なんて今まで何してたの?』という心ない意見から、『前の子が守ってくるから次は大丈夫』と言ってくれる人など色々でした。
残念ながら初期の流産は染色体の異常など防ぎようのないものです。
私も薄情なほど、自分を責めるようなことだけは一切しませんでした。
悲しい思い出はあるべき場所にそっと置いておいて、囚われることなく前に進む選択をしました。
そして今、ここに書き綴ることでまだすべてを消化しこれからの出産、育児を楽しめると思います。
このブログが必要な誰かに届くことを願いながら…。
妊娠という珍事、ドラマティックな変化。
進化の過程をなぞる胎児
市販の検査薬キットで妊娠の可能性を確認した時、妊娠5週あたり。
すでに胎児はこの期間、とんでもないスパンの進化を駆け抜けていたのでしょう。
生物の進化は、「原始魚類 → 古代魚類 → 両生類 → 爬虫類 → 哺乳類」という過程で、現在の哺乳類まで至ります。
胎児は母親のおなかにいる期間に、この人類の進化の過程をなぞっているという説もあります。(ヘッケルの反復説)
大動脈の形成、顔の形成、各機関の形成。
急ピッチで重要な神経が育つ時期なので、しっかりと栄養を摂ることも必要です。
特に妊娠初期に最も有効な栄養素として葉酸が挙げられます。
葉酸には流産リスクの低減、神経管閉鎖障害のリスクを70%軽減したり、妊婦さんの貧血症状を軽くしてくれるなど、さまざまな効果が期待できます。
葉酸は吸収率が悪く、体内に蓄えておけない栄養素なので、毎日積極的に摂取しましょう。
妊娠とドラマティックな変化
子宮と胎盤を使って胎児を育てる『哺乳類』は、地球上では珍しい存在です。
胎盤を通じてじっくりと時間をかけて栄養補給をし、母体内で充分に胎児の発育を支え、出産します。
その時に起こる母体の変化は劇的です。
黄体ホルモン(プロゲステロン)は通常の月経時の10倍以上に増え、卵胞ホルモン(エストロゲン)に関しては、妊娠を経験しない女性が一生かけて浴びる総量をしのぐ量を妊娠期間中だけで産生します。
これは『非常事態』です。
初妊娠した女性の脳の変化を調査したところ、大脳皮質の体積が大規模に減少することが分かったそうです。(バルセロナ自治大学ヘクゼマ博士)
体積の減少が顕著だったのは、他人の心を読む皮質領域で、ここの減少量が多かった妊婦ほど産後の赤ちゃんへの愛情が強かったそうです。
この脳回路の変化は産後2年経ち再検査した時点でも変化したままです。
つまり、脳を見ただけで経産婦か否か見分けられるということです。
また、妊娠出産との関係が深いホルモンの一つで『オキシトシン』も放出されます。
哺乳類にしか分泌されず、①子宮収縮効果②母乳分泌効果③子宮復興の効果という主な役割があります。
オキシトシンの作用により母性愛が強まり、また恐怖心や不安などが減少し、精神的に安定する効果をもたらすことも分かってきています。
こうした作用から、オキシトシンは「愛情ホルモン」「幸せホルモン」「信頼ホルモン」「絆ホルモン」「癒やしホルモン」などと呼ばれることもあります。
また、オキシトシンには意外な作用もあります。
他者に対して『排他的になる』ということです。
子育てをしている動物は警戒心が強く、近づくものを攻撃してしまいます。
子どもを守ろうという気持ちが強くなり、それ以外をすべて「敵」とみなしてしまうのが原因なのではないかと考えられています。
親密な人とはより信頼関係を結び、そうでない人に対しては攻撃的になるなど、対比が鮮烈になるのです。
家族も例外ではありません。
育児に協力的ではない家族は親密な相手という枠の中に入ることが出来ず、攻撃の対象とみなされます。
子どもが生まれる前から『オキシトシンの審判』は始まり、子育ては始まっているのです。
夫婦同士のスキンシップで、互いにオキシトシンを分泌させ合うことが大切ですね。
私は貧血気味だったので、病院で処方してもらいました。 |
ABOUT ME:『向いてない私』が出来上がるまで。
(フロム愛37)
母性愛の二つの側面は、聖書の象徴にも表現されている。
約束の地(大地はつねに母の象徴)は、「乳と蜜の流れる地」として描かれている。
乳は愛の第一の側面、すなわち世話と肯定の象徴である。
蜜は人生の甘美さや、人生への愛や、生きていることの幸福を象徴している。
(フロム愛38)
たいていの母親は「乳」を与えることはできるが、「蜜」も与えることのできる母親はごく少数で、そのためには母親はたんなる「良い母親」であるだけではだめで、幸福な人間でなければならないが、そういう母親はめったにいない。
エーリッヒフロム 『愛するということ』より
❝自分は親にはならない❞という信念で生きてきました。
この世に生を受けることの素晴らしさ、生きることの甘美さを伝えることなど出来るだろうか。
私は蜜を与えられる親になる自信はなかったのです。
この世に堕とされた苦しみ。
生きることに執着を持てない悲しみ。
いつも同じ場所で足をすくわれはまり込む罠。
自分の存在価値すら疑わしく、地に足のつかないような感覚をあまりに長く味わってきたように思います。
感情レベルは母親から伝染しやすい。
自分のように一定の尺度を保てない母親の元では幸せになれないのではないか。
私はとても怖かったのです。
子どもの頃から心理学やら哲学やら宗教学やらの本を読みあさりました。
なぜ自分はこんなに生きづらいのかという原因に興味があり、またどうしたらここから抜け出せるのかという方法にも関心を持っていました。
こんなに不安定な出来損ないではありますが、探求心と行動力はわずかに持ち合わせていたのです。
中学、高校とミッションスクールに在学していたころ、同じ感性の波長を持ち合わせた親友と出会いました。
交換日記を通し、お互い書きなぶることで感情を整理、浄化させていくことを試みていました。
その頃はまだ粗削りで、客観視することも出来ていないので、今読み返せばあまりにもストレートな被害者意識にまみれた代物ですが…。
その瞬間を不器用に、でも懸命に生きている二人が今も鮮明に蘇ってきます。
しかし彼女は自分の命を削って復讐する道を選びました。
復讐は直接相手に危害を負わせるばかりではありません。
自分自身が不幸になることで、相手の人生に重い十字架を負わせようとする巧妙な企みを含みます。
自分が毒を飲んで相手を傷つくのを待っているようなもの。
誰も幸せにはなれないのですが…。
自殺未遂を繰り返す母親を見てきた彼女にとっては、あまりにも簡単に引き出せる選択でした。
自分の人生を振り回す母親に、自分を捨てた父親に、自分を見限った恋人に、自らの命を削り不幸になることで、どこか鼻を明かしてやったような、やってやったぞという高揚感にも似た感情をその瞬間持ち合わせていたようにも想像します。
彼女は普段から自分の命を切り札に、人の感情を試すようなことはよくありましたが、最後は本当にやってのけてしまいました。
もう二度と取り戻すことのできない、悲しい選択です。
子どもの頃から自分の存在をディスカウントされて育てば、反応が歪みます。
❝おまえは価値がない、存在するな❞という禁止令。
体に侵食していくがん細胞のような、降り注ぐ呪いのようなような影響力。
母親の歪んだ刷り込みを心理学では『魔女の呪い』とも表現します。
それを一度感じ取ってしまった以上、それが解けない限り自殺願望からは解放されないのでしょう。
彼女の葬儀は教会で行われ、聖書の朗読や聖歌斉唱など、終始透き通るような清らかな時間でした。
つつましい吐息の音ばかりが川のように流れていくような…。
それでいて、クリスチャンである彼女の信仰すら呪いを打ち砕けなかった虚無感にも襲われました。
その時私は、このままでは自分もいつか彼女の二の舞になるのではないかという予感が走りました。
しかし今、私のお腹には別の命が育っています。
簡単には死ねなくなりました。
私は沢山学び続け、自分とも向き合い、人との出会いの中で引き挙げてもらって、今もこうして生きています。
自身の愛着障害のせいで随分と回り道もしながら、ねじれた恋愛に足をすくわれながらも、今は誠実で安定感のある人と家庭を築いています。
慣れ親しんだ古い信念を手放す努力をし、新たなスペックを更新している最中なのです。
行動しなければ、一歩を踏み出さなければ、人は現状維持のシステムに容易に組み込まれていきます。
最初に注ぐエネルギーには不安が伴い、また変化や成長には痛みが伴います。
しかしその痛みを知っているからこそ、セラピスト、心理カウンセラーとしてここまでやってくることも出来たし、また母親としての人生をスタートさせる今、『この子には間に合った』と思えるのです。
もちろん、今でも不安は心の奥でさざ波を立て続けます。
親への感謝が沸き立つかと思えば、過去に与えられた肉体的、精神的な傷ばかり疼いて自分自身にガッカリすることもあります。
母ちゃんをトコトンやってみる!と腹はくくりましたが、完璧は目指しません。
完璧を目指せば、仕事においても育児においても自分がどこか『偽物』のような罪悪感にさいなまれることになります。
心は常に両極を行き来しながらバランスを取っている。
駄目な自分も受け入れながら、折り合いをつけて付き合っていくしかありません。
どこへ行っても自分自身は道連れなのですから…。
あなたがもし、何かしらの虐待などを受けた経験を持ち、自分の子どもに対してその影響や連鎖を気に病んでいるとしても大丈夫!
未来へのベクトルは必ず変えることが出来ます。
実際、虐待の連鎖は現在では統計学的に否定されていますし、そのカテゴリーに自分を当てはめて思い込みに悩む必要はありません。
過去が未来を制約することなどないのです。
私も自分に言い聞かせています。
自分で自分の邪魔をするのはもうやめよう。
幸せになることを許可しましょう。
『愛するということ』エーリッヒ・フロム
愛は技術であり、絶え間ない努力であり、学びである。
愛は受動的な感情ではない。
能動的な働きかけである。
HOME:ブログの大まかな方向性と意義。
2018年4月1日イースター(復活祭)。新ブログ始めます。
キリストが復活したのが日曜日だったということで、イースターの日にちは「春分の日の後の最初の満月から数えて第一日曜日」と定められています。
昨日、3月31日はてんびん座の満月、さらに1か月内に2度満月が起こるブルームーンでした。お祭りムードいっぱいです。
妊娠が発覚した昨年末から小説を書き始め、3月末が期限のすばる新人賞に応募。
感情のデトックスが一段落したところで、このブログに取り掛かることにしました。
今見ているこの景色も、目まぐるしく自分の内側で波立てている感情も、いつかは色あせ新しい幕があける。
そう思うと、この貴重すぎる瞬間を書き留めておきたいと思いました。
タイトル通り、”向いてない私”はこの妊娠を手放しで喜べるばかりではありません。
不安や葛藤は常に形を変えてやってきます。
しかしこれまで長い間、窮屈に着続け慣れ親しんだ信念を手放し、新たなスペックに更新すべく挑戦中です。
もし、同じように新しい自分に挑戦中の誰かがいて、共に歩めるようなブログを書き綴れたら幸いだと思っています。
胎児が母親と共に過ごす十月十日と書いて『朝』
私たちは朝を迎える度に生まれ変わること事が出来ると信じ、最初の一歩にエネルギーを注ぎましょう。
行動を起す時も、いきなり大きなことを考えると身動き取れなくなってしまうので、ほんの小さなことから取り掛かる。
『100人の侍と対峙する』という話がありますが、剣の達人は100人を相手にする時も100人を相手にすると思ってはいけない。
目の前の1本の刃に集中すること。
1人倒したら、次の1本に意識を集中する。
そんなお話があります。
私の主な対策としてそんな『行動療法』に重きをおいています。
行動療法とは文字通り、心理の面にはあまりアプローチしないで、行動を通して課題を克服していく心理療法です。
例えば、気分が乗らない時ほどメイクやおしゃれをして見た目を変えてみる。
するとわずかに心に変化をもたらします。
やる気がない時ほど、掃除を始めてみる。
目の前の世界を整えることは、自分の心を整えることにもなります。
いづれ行動と心は一致してきます。
つまり私の場合はタイトルどおり"とことん母ちゃんぽいことやってみる”のです。
それっぽくしているとそうなっていく。
人は思い込みの生き物ですから。
”向いてない私”が出来上がるまでの軌跡についても、次ブログにて紹介したいなと思っています。
合わせて読んでいただけると、誰かの出所不明な感情にも当てはまることがあるかもしれません。